ベガルタ仙台 さらば、クラブ史上最高のストライカー…ウイルソンは最後まで顔を上げていた【161105】

1 :2016/11/05(土) 17:43:54.02

「どんな時でも私は一目置いていた」(渡邉監督)

 どれだけ、ウイルソンという選手が愛されていたか。それは、試合前練習から引き揚げてきた選手とスタッフが、仲間たちの姿を見にグランドレベルに顔を出した彼とタッチを交わした際の表情からよく分かる。

 どれだけ、ウイルソンという選手が必要とされていたか。それは、サポーターが背番号9をコレオグラフィとして作り、「オー、ウイルソン、ゲットゴール!」というチャントを叫んだ光景からよく分かる。

 ここ数年は怪我に苦しんで満足なプレーを披露できなかった。それでもウイルソンは、どんな状況でも、紛れもなくエースであり、ストライカーであった。ゴールへの期待は、いつも彼が背負った。

 今季からFC東京から期限付き移籍で加入した三田啓貴は言う。

「本当に偉大な選手。彼が14年まで付けていた18番を背負わせてもらった責任を感じて、プレーしていた。チームがなかなか勝てなかった第2ステージ序盤の3試合連続ゴール(4節・新潟戦、5節・湘南戦、6節・福岡戦)は本当にすごかったし、あれでチームは救われた」

 ピッチに立てば何かを起こしてくれる――。だから渡邉晋監督は、怪我明けでコンディションが万全とは言えない状態でも、迷わずに途中からピッチに送り出した。

 そんなウイルソンに仲間たちはボールを集めた。その姿を見て、サポーターはより一層の歓声を上げた。ユアテックスタジアム仙台が揺れた。

 コーチ、ヘッドコーチ、監督としてベンチからその姿を見守り続けた渡邉監督は言う。

「クオリティの非常に高いエースストライカー。どんな時でも私は一目置いていた。それはともにプレーしている選手もそうだと思う。ここ数シーズンは万全の状態でいる期間があまり長くなかったのは本人も悔しいだろうけど、一緒にやっている私からしても本当に残念だった。

 それでもリスペクトしていたし、どんな状態でもウイルソンのエネルギーとパワーを必要としていた。残した功績は素晴らしいし、彼から学んだこともたくさんある。それは我々の財産。意思を引き継いで、今後につなげていかなければと思う」

「自分にとっても幸福な月日だった」

 2011年3月11日、東北地方は未曽有の大震災に襲われた。絶望感のなかで、それでも仙台というクラブは復興のシンボルになろうと歩みを止めなかった。避難所生活を強いられた選手もいたが戦い続け、4位となった。

 その翌年だった。ブラジル人FWが中国の陝西宝栄から仙台に加入した。すると、32試合・13得点という成績を挙げるとともにベストイレブンにも選ばれた。クラブはJ1リーグで優勝争いを繰り広げ、勝点57を積み上げて2位に。もちろんクラブ最高成績である。

「1年目から活躍できて、チームにとっても、自分にとっても幸福な月日だった。心から素晴らしいと思える5年間だったよ。残念ながら怪我で離脱してしまった時もあったが、出場した試合では全力を尽くしたつもりだ。

 サポーターはそれを感じてくれていたと思う。いつも大きな声援を送ってくれ、自分をリスペクトしてくれていると感じて、ピッチでは戦えていた。

 最後に、いつまでも終わらないんじゃないかというくらい長い時間、チャントを歌ってくれた。感動したよ。頑張って堪えたけど、今にも涙がこぼれ落ちそうだった。ハッキリと自分のチャントを聞けて、これはずっと自分の中に残り続ける」

 ラグビーの元ニュージーランド代表で世界的な名選手としてならした故ジョナ・ロムー氏はこんな言葉を残している。

「ニュージーランドにも罰走のような練習がありました。何十回もグラウンドを往復させられる。タイムを切れなければさらに増える。もう足も動かない。頭は下がる。

 でも、ふと両脇を見ると仲間も同じように走っている。こいつらが一緒なら乗り切れると思える。窮地に立たされれば人間の本当の姿もわかります」

 ウイルソンは、ある意味で復興の光だった。前に進むのも厳しい状況が襲い掛かってくる、下ばかりを見たくなる。そんな時にサッカーを見れば、仙台が勝っている。ウイルソンが躍動している。

 サポーターが「仙台がいれば」と腹の奥底から声援を送ったように、クラブも選手も「サポーターがいれば」と最後の最後までボールを追った。みんなが、「一緒なら乗り越えられる」と、あの時に考えていたはずだ。

「最後に顔を上げて退団することができる」

 ロムー氏は言った。「痛みは短い時間で消える。栄光は永遠だ」

 仙台を愛したブラジル人ストライカーがいた。彼は東日本大震災の後に、杜の都に現われた。東北の復興に人一倍尽力した。そして、5年間で162試合に出場し、51ものゴールを生み出した。

(J1通算128試合・40得点、ナビスコカップ通算20試合・7得点、天皇杯通算8試合・3得点、ACL通算6試合・1得点)。

 その名はウイルソン。今季で仙台から去る。その痛みは決して小さくない。だが、きっと薄れ、消えていくのだろう。それでも……。

「あの震災で大切な人を亡くした人も多い。家や、大切な物を失った人も多い。そういう人たちに、改めてお悔やみを申し上げたい。もし僕のプレーで勇気を与えられたのなら、こんなに幸せなことはない。

 仙台を去るのは残念だ。神様にも、プレーするチャンスをくれたクラブにも、家族のように良くしてくれた選手たちにも感謝したい。サポーターに対しては、いろいろな想いがある。多くのメッセージをもらった。心から感謝している。

 このファミリーが成長し続けるように願っている。何度でも言うけど、本当に最高な5年間だった。自分の仕事は果たせたんじゃないかな。だからこそ、最後に顔を上げて退団することができる」

 クラブ史上最高のストライカーがいた記憶は色褪せない。2位となった記録は消えない。きっと、「栄光は永遠だ」。

http://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=20319

 

4 :2016/11/05(土) 17:48:40.47

三田は来年どうすんだろね
ボランチやらして貰って大満足みたいなこと言ってるけど

 

6 :2016/11/05(土) 17:53:20.71

ハモンロペスも移籍濃厚
ここは来期の降格候補だな

 

7 :2016/11/05(土) 18:02:56.21

赤嶺戻せよ

 

9 :2016/11/05(土) 18:10:37.91

は最高は赤嶺だろが

 

10 :2016/11/05(土) 18:17:47.41

最高はマルコス・パウロ・ソウザ・リベイロだと思う

 

12 :2016/11/05(土) 18:20:29.94

>>7>>9
ヘナギいてこその赤嶺だろ

単独じゃ最高とは言えない

 

13 :2016/11/05(土) 18:29:58.79

ウイルソンは手倉森の退任によって輝きを失った印象

 

23 :2016/11/05(土) 19:20:16.02

このウイルソンていう人はどこに行くの?

 

26 :2016/11/05(土) 21:52:43.32

ユアスタ前にウイルソンの銅像を!

 

27 :2016/11/05(土) 21:56:08.31

あの年は外国人助っ人選手を獲るのが大変だったと聞いた
そんな時にウイルソンが現れた
そして復興の為に頑張るという意気込みに救われた
本当、神のように思えたものだ

 

28 :2016/11/05(土) 22:06:13.02

>>27
2011年は開幕戦の1試合だけ出て
震災後に退団した金髪のFWがいてだな…

開幕戦の働きは素晴らしかったのだが、仕方ない、運命だと思ったよ。
それがあるから、よりウイルソンには感謝してもしきれない。

 

http://ux.nu/EmSd0